特別講演・シンポジウム等

 本大会では、山口裕幸先生による特別講演を開催する予定です。

特別講演

「グループ・ダイナミックス研究の未来を思い描く― 生成AIの可能性を超えて行くには ―」
講演者 山口 裕幸(京都橘大学総合心理学部、九州大学名誉教授)
司 会 三浦 麻子(大阪大学大学院人間科学研究科)

 K. Lewin (以下、Lewin) の提唱を受けて、一気にブレイクスルーを果たしたグループ・ダイナミックスは、集団の斉一性圧力や同調行動、リーダーシップ、社会的促進や社会的手抜き、集団意思決定、集団内の対人的葛藤、混合動機的状況における行動選択、報酬分配の公正性、少数者影響過程、等々、集団場面で発生する諸現象のメカニズム解明を推進してきた。その歩みと併せて、自ずと生まれる「なぜ人間はこうした社会的行動をとるのか?」という問いに対して、F. Heiderのバランス理論や帰属理論、L. Festingerの認知的不協和理論、社会的比較理論を突破口に、実に多様で興味深い社会的認知の研究が飛躍的発展を遂げた。また、小集団をのみならず、コミュニティや集合、群衆を対象として、現場に飛び込んで実際の社会問題の解決のあり方を探究する取り組みでも積極的な展開がなされた。Lewinが重視したアクション−リサーチによるアプローチは、グループ・ダイナミックスの屋台骨となり、着実に成果をあげてきている。

 しかしながら、グループ・ダイナミックスの研究は逆風ともいえる困難な課題と闘う必要もある。身近な問題としては、実験対象が集団単位となることで、集団サイズ(人数)×集団数で算出される多くの被験者数が必要となることが挙げられる。実験を行う場合には変数の統制にも四苦八苦する。これらの問題は、再現性の低下を招くことにつながり、研究の科学的信頼性への疑問符を突きつけられる事態になりかねない。なんとか克服する道筋を見いださねばならない。

 さらには、生成AIの急激な発展によって、過去の研究知見をレビューするだけでなく、それらを統合的に整理して新たな研究課題を見いだす作業までもが、わずかな時間と労力で実現可能になりつつある。ナラティブデータの分析やコンテキストの解釈といった、従来は人間の研究者の強みと考えられてきた作業についても、生成AIが担う可能性が高まっている。未開拓の研究課題を探索したり、過去の研究報告を踏まえて具体的な実験手続きを提案したりすることまで可能になるとすれば、研究者は生成AIが設計した研究を実施する存在へと位置づけられてしまうのではないかという懸念も生じる。

 もちろん、生成AIは完全ではない。事実ではない情報を、堂々と、さも事実らしく出力する「ハルシネーション(もっともらしい嘘)」の危険性がある。「生成AIはときどき嘘をつくことがあるので、安易に信じてはいけない」と言われた経験のある人は少なくないのではないだろうか。また、「空気を読む」「暗黙の了解を理解する」といった人間特有の感情理解はまだまだ苦手だと指摘されている。Lewinが提唱した「心理的『場』理論」を基盤として発展してきたことを考えると、グループ・ダイナミクスは、生成AIの不得手な領域に切り込んでいく可能性を持っていると期待できるだろう。

 それでも、研究が進み、知見が蓄積され、そこから学習できるとなると、いずれ今は不得手な人間特有の感情理解の問題も生成 AI が克服するときがやってくるかもしれない。そうなるともうお手上げなのだろうか。そう簡単にあきらめなくても、まだ我々の存在価値を示すチャンスは残されているようだ。それは、「思いつく」ことや「ひらめく」こと、「気づく」ことなど、直感や感情で「無から有を生み出す」活動は、人間の出番だと考えられる。かつて機械工学の専門家と共同研究を行ったとき、その専門家が自分の指導学生に「先行研究のレビューは後で良い。まず、自分の思いついた仮説を大切に研究をデザインしなさい」と教えていると言っていた。その時は、「我々社会心理学の世界ではそれは通用しないから」と思っていた。しかし、最近、人間らしさとはどんなものかと思いをめぐらすにつけ、直感やひらめきを生み出す感性を磨く取り組みこそが、グループ・ダイナミックス研究のみならず心理学研究の未来を切り開く窓なのだとの思いを強めている。

 Lewin が、心理的「場」の理論を着想したきっかけは、ナチスの迫害を逃れ亡命したアメリカで、日常の何気ない生活の中で、人々の集う様を観察したことにあると言われる。トポロギー(位相力学)の専門家としての知識や見識の蓄積が、磁石を人間に見立てる新たな視点の転換と相俟って、ひらめきに結びついたのだろう。地味ではあるが、研究者同士が互いの思いつきやひらめきを尊重し、それらを共有し合う営み(学会大会!)こそが、グループ・ダイナミックス研究の未来を切り開く起点となることを期待したい。